タミルの伝統棒術シランバム(Silambam)
シランバム(タミル語 சிலம்பம்)はタミルナードゥ州に伝わる伝統棒術だ。
民間の口伝によれば、数千年以前の古代に聖者アガスティアが瞑想の深みにおいて体得した医学と武術をその起源とすると言われるが、確たる証拠はない。
その歴史はおそらく、ドラヴィダ文化の揺籃期、サンガム時代の文献に拠れば少なくとも紀元前4世紀頃までは遡ると思われる。
Silambamの語源にはふたつの説がある。ひとつは、Silamは丘の上を、Bamは竹の棒を意味し、合わせて『丘の上の竹』だという説。もうひとつは、棒を振り回している時に鳴る風切り音をタミル語で擬音化したという説。
筆者はどちらかと云うと後者の肩を持ちたいが、どちらにしても、シランバムとは、南インドのタミルナードゥ州で伝承実践される棒術の総称である。
タミル人は古代・中世から進取の気風に富み積極的に海外に進出しており、西欧人の大航海時代の遥か以前から、主に東南アジア方面に進出定住しコミュニティを形成していた。
その後、西欧特にイギリス植民地時代に労働力として連れて行かれた労働者が合流し、現在特にスリランカ北部とマレー半島などにはかなり密度の高いタミル人のコミュニティーが活発な文化活動を展開しており、そこにおいてこのシランバムも民族アイデンティティの象徴的なスポーツとして愛好されている。
近年の青少年スポーツとしての普及においては、一般には軽く弾力のあるCane(籐の一種)が使われる事が多いが、本来の武術としては、非常に硬くある程度の重さがあり殺傷能力の高い竹棒が用いられていた。
イギリス植民地時代にはカラリパヤットと同様に激しく弾圧され、辺境の山岳地帯にその身を隠す事を余儀なくされたと云う。また銃器などの導入によって、相対的に伝統武術に対する認識が低迷した一時期もあった。
しかし独立後は伝統文化の見直しと共に、インド本土と海外コミュニティ共に特に学校教育と歩調を合わせて、普及が活発化された。
また、棒と云うどこででも手に入り、野獣を追い払ったり蛇をよけたり、強盗から身を守ったりと、日常的な利便性もあって、特に農・山村部では非常に普及していた。
現在でもちょっと田舎に行って聞いてみると、昔はならしたもんだ、と云う腕自慢のおじいが2,3人はすぐ出てくる。普及の形態としては沖縄の村棒術に近いかもしれない。
本来はカラリパヤットと同じ様に様々な武器技や体術と合わせた総合武術だったらしいが、現代では主に棒術のみの形として実践されている。
鹿の角を二本組み合わせたマドゥという武器
近年話題の多いインド映画だが、タミルナードゥ州でもローカルなタミル語で数多くの映画が製作されており、名優として知られるMGラマチャンドランやラジニカントなどが活躍するヒーロー映画では、しばしばこのシランバムが戦闘シーンに登場し、「これぞタミルの漢!」という感じで喝采を受けている。
しかし、近年では女子の間でもシランバムの人気は急上昇しており、Sai Dhanshikaの様な有名女優の間でも理想的なタミル・ヒロインの象徴としてシランバムを実践する者が増えていると言う。
また、その普及・実践において忘れてはならない特徴に、ムスリムの存在感がある。今回取材したマスターのほとんどがムスリムであり、シランバムで使われる専門用語にもアラビア語起源の単語が多い。この辺の歴史を紐解けば、ヒンドゥが主役の北派カラリパヤットとの違いが、より鮮明に把握できるだろう。
シランバムは大きく三つに分けることができる。
1.Sports Silambam
現代シランバムの普及は小中学校など子供達の体育、あるいは地域少年スポーツと云う側面が強い。そんな中、近年急速に発展しているのがこの分野で、円形のコートの中で二人が対峙して、棒を構えて剣道のように試合をする。
英語名はStick Fencingでインドを中心に世界中に広まりつつあり、オリンピックの正式採用を目指しているらしい。
ルールは子供向けにポイント制で優劣を競い、相手を強打してダメージを与えるとペナルティが与えられるなど、実戦的な要素は極端にそぎ落とされており、剣道よりもスポーツ・チャンバラに近い。
だが、マスタークラスの対戦は非常に高度な駆け引きと技術が見られ、学ぶべき事も多い。
スポーツ・シランバムの対戦。棒のグリップに注目。左手が前で逆手持ちが基本
2.Show Silambam
主に学校行事や地域のイベント・祭りなどで行われるデモンストレーション。最近では新体操のリボンやリングのような技も取り入れられ、華やかな装いを見せる。特に夜行われる一連のファイヤー・シランバムはほとんどサーカスのようなエンターテイメントで、民族太鼓のリズムに乗って繰り広げられる技の数々は、演技者と観客が一体となったトランスの世界にいざなってくれる。
競技会のトリをしめるシランバムのファイヤー・ショー
3.War Silambam
これが本来の武術的棒術。ひとりで行う基本操作から始まって、二人で向き合う組棒の型から、棒を使った関節技、投げ技など、多様な広がりを見せる。
棒を掴んだ投げ技をかけられる筆者
シランバム棒術では全ての基本としてステップ(足運び)が重視されている。もうひとつ、Sports, Show, War の全ての分野に共通する基礎エクササイズとして回転技が重視されており、特に後二者で見られる高速回転は全インド棒術中の白眉と言っても良い。
シランバムの超高速回転技
タミルも最南部に行くと、シランバムのマスターが同時にカラリパヤット的なマルマン知識を持っていたり、あるいはウルミーなどの武器技も持っていたりと、シランバムと南派カラリの区別があいまいになってくる。
今回の調査行でたびたび話題になったのが、果たして、シランバムと南派カラリパヤット、どちらが元か、と云うものだが、私にもその答えはまだ出ていない。
ケララのマラヤーラム語が西暦800年頃タミル語から分かれた事、両者の共通のルーツがサンガム時代にまで遡れる事を考えると、おそらく、同じサンガム時代に南派カラリパヤットとシランバムの共通の祖となる武術が体系付けられ、その後、タミルとケララの分立によって、それぞれが独自の進化発展を始めた、と見るのが妥当ではないだろうか。
ひとたび分かれても、その後両者は旧トラヴァンコール藩王国周辺で交じり合い、影響を与え合っている。片方で失伝された型や技が片方には残され、それをまた取り入れることによって伝統の再興がなされたりと、一概にどちらが親でどちらが子供かなどとは言い切れない。
チェーラとチョーラの争い以来、現代にいたってもケララ人とタミル人のライバル意識は強烈で、両者はお互いに自分がルーツである事を譲らないのだが、私としては、どっちでもええやん、とこの争いからは身を引いている。
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