印度武術王国

いまだ知られざるインド武術について紹介

マラータ王国の残照:マルダニ・ケル(Mardani Khel)

マルダニ・ケルはマハラシュトラのマラーター民族に伝わる武器技を中心とした伝統武術だ。使われる武器はラティ・カティ(lathi-kathi、竹棒)、タルワール(talwar、曲刀)、ダラ(Dhala、丸い金属の楯)、カチャール(katyar、ダガー)、 バラ(bhala、投げ槍)、 ヴィータ (veeta、コード付きの投げ槍)、ダンパッタ(dand patta、ナックルガード付き直刀)などバラエティに富む。

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ガード付きのダン・パッタと楯を持つ師範。オレンジはマハラシュトラ・カラーだ

現在ではオリッサ州のパイカ・アカーラと同じ様に主に青少年スポーツや祭礼時のデモ・パフォーマンスという傾向が強いが、その歴史を紐解くと中々に侮りがたいものがある。

コラプール在、シヴカリン・マルダニ・ケル道場による演武

クシャトリヤを自称するマラーターが中西部インドに民族集団として顕在化するのは13世紀頃だと言われている。

彼らが拠点とした現在のマハラシュトラ州西部一帯は、西ガーツ山脈により起伏に富んだ地形を持ち、その中で生活し馬を用いた練兵をする事によって、機動力に優れた軽騎兵とゲリラ戦法の基礎が形作られた。

この頃の彼らは、戦場において特に『槍さばき』の巧みさで名を馳せていたようだ。

その武名は徐々に広まり、16世紀以降ムスリムの侵略王朝が割拠する中で傭兵として力を増していった。

17世紀の半ば、その様な傭兵武将の中からシヴァジ―が頭角を現し、マラーター民族は急速に勢力を拡大してデカン高原の覇者となっていく。

彼らはその優れた武勇と戦略によって皇帝アウラングゼーブのムガル帝国に戦いを挑み、騎兵を巧みに用いた俊敏なゲリラ戦によってこれを翻弄した。

やがてマラーター王として即位したシヴァージーはヒンドゥの復興を旗印にムガル帝国を始めとするムスリム侵略王朝に戦いを挑み、領土を拡大。

恐らくこのシヴァジーの時代までには現在のマルダニ・ケルの基礎が形作られ、その後マラーター王国の歴史と共に発展していったと思われる。

マラーター王国はシヴァジーの死後ムガル帝国に押される時代が続いたが、やがてアウラングゼーブが死去すると勢いを盛り返し、18世紀初頭にはマラーター王国を中心に周辺ヒンドゥ勢力を結集したマラーター同盟が結成される。

1720年、シヴァジーの再来と謳われるバージー・ラーオ1世がマラータ王国宰相に就くと同盟は急速に勢力を拡大、北インド一帯からついにはムガル帝国の首都デリーにも侵攻する。

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マラーター同盟の最大版図(黄色部分)1760年

このマラータ同盟の版図は一時期は北インドからベンガル湾東インドに至る広大な領域に及び、帝国と言っても良い規模に達した。それをみてもマラーター達の戦闘能力、つまりは『武術』レベルの高さがうかがい知れるだろう。

しかしその最盛期は長くは続かず、1761年、南下するアフガンのムスリム連合軍に第三次パーニーパトの戦いで大敗した結果、同盟としての統率力が失われくつかの有力諸侯家が分立する。

その後宰相マーダヴ・ラーオの力量によって何とか同盟としての面目を保つが、彼の死後同盟は混乱し、その内紛に乗じたイギリス東インド会社に付け入られ第一次マラーター戦争が勃発するが辛くも撃退。

その後も同盟内部の対立は続き、第二次マラーター戦争(1803–1805)でイギリスに敗北した同盟は多くの領土の割譲を余儀なくされ、続く第三次マラーター戦争(1817–1818)で大敗を喫し、最終的に1818年6月、同盟は解体されるに至った。

マラーターの敗因については色々と言われている。内部的なまとまりの無さは勿論致命的だったのだが、彼らが持つ伝統的な侍スピリットが銃よりも剣を尊んだ結果、銃器に即した戦術の練度が、英軍に比べて低かったのもその一因だろう。

同盟を統括する宰相府はイギリスによって解体されたが、諸侯はそれぞれ藩王国としてかろうじて存続を許された。しかしそれは完全なイギリスの支配下における屈辱的な延命に過ぎなかった。

そして1857年メーラトで勃発したセポイの反乱に呼応する形で多くの旧マラータ勢力が決起し、カーンプルのナーナー・サーヒブとその武将ターンティヤー・トーペー、ジャーンシーの女王ラクシュミー・バーイーなど、多くのマラータの戦士たちが勇名を馳せた。

やがてこの大規模な反乱も鎮圧され、以降マラータの実践的な武術はイギリス植民地政府によって徹底的な弾圧を受け武器の使用も禁止、辛うじてケル(ゲーム、スポーツ)として生き永らえたのだろう。

現地のプロモ・ビデオ。表記はKhelだが「ケラ」と発音している様にも聞こえる

インド独立後、マハラシュトラでは郷土の誇りである伝統武術の見直しが急速に進み、現在の『マルダニ・ケル』としての体裁が関係者の努力によって整えられていった。

現在、マラータ王国の中心地のひとつだったコラプールなど、マハラシュトラ州各地にマルダニ・ケルの道場(タリーム)が存在し、郷土の英雄シヴァジー直伝の武術としてマラーティの間では人気が高い。

1957年のインド大反乱において名を馳せたジャンシーの女王ラクシュミバーイは、その後インド独立運動のシンボルとして称揚されマラーターの武勇を象徴するヒロインとなった。その為現在、多くのマラーター女子がマルダニ・ケルに入門し、その伝統を学んでいるという。

また、ラクシュミバーイが名誉の戦死を遂げたグワリオール城の攻防戦おいて、彼女が幼い我が子を背負いながら馬上で剣を振るい戦ったエピソードにちなんで、祭礼などでは女性戦士が赤ん坊を背負って剣を振るうパフォーマンスが演じられ、観衆の喝采を浴びている。

子供を背負ってタルワール刀を振るうMs. Snehal (Sonu)

また、ケララ、タミル、オリッサ、西ベンガルなどと同様ここでも棒術の回転技が極めて高いレベルで伝承されており、回転技マニアとしては嬉しい限りだった。

非常に滑らかでスピード感のあるダブル・スティックを回すグルジー

これも現地のビデオ。セッティングが美しい

2010年の現地取材では、Shivkalin Mardani Khel Khandoba Talim 道場の皆さんに全面的に協力して頂いた。マラータ戦士、勇者の末裔たちに、篤く御礼申し上げたい。

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お世話になったタリーム(道場)の皆さん。若い世代も育っている様で、今後とも楽しみだ

 

参照:Maratha Empire - Wikipedia Mardani khel - Wikipedia 

 

 

 

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